ただのサッカー好きが、思ったことをただ書くだけ。 (06年終了)

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2008-01-09 Wed 23:27
07年日本代表総括
少し遅くなったけど、07年の日本代表の総括を。07年のキーワードは「攻撃の型作りとそのための守備の転換」。まずは後者の守備の転換から見てみたい(守備面については天皇杯決勝の記事についての議論と関連する点が多いです)。

守備の戦術変更が抜本的に行われたのは、キリン杯のコロンビア戦。相手の2トップに対して日本は4バックで臨んだ。これはオシムジャパンとしては大改革なわけだけど、自分の記事を見直してみると全くそのことに触れられてないわけで。

その記事(旧ブログ)でサンチェさんに頂いたコメント。

後半のディフェンスですが、個人的には、今野の投入以降、後ろが3枚(中澤・阿部・今野or駒野)な感じがしました。

なるほどと。真ん中が2×2だからそれをカバーする役割をSBが担った結果、そういう形になったってことだと今にして思う。もっと言えば、SBのスタメンは中田浩だし交代は今野だったのかと(他にSBがいなかったことも事実だけど)。

じゃあ、なんでこんな重要なことに気づかなかったのか(自分の見る目がないのは根本として)。1つはカミカゼシステム自体に目を奪われてしまったこと。特に1つ前のモンテネグロ戦の攻撃が不満だっただけに、攻撃の方に多くの注意を向けてしまった。もう1つはあまりにもスムーズに守備の転換が行われたってこと。

普通に考えればマンからゾーンへの大きな守備の転換。実際に1つ前のモンテネグロ戦では相手に合わせて4バックと3バックを試合中に変更してるわけで、そう考えるとやっぱり大きな転換。それでも、大きな転換が大きな転換に見られなかったのも事実だったと思う。

そもそも今にして思えば、07年初戦のペルー戦からその予兆はあったのかもしれない。このペルー戦で日本代表は序盤に主導権を握られた。その要因は前線で効果的な守備ができずに、ブロックが低い位置に押し下げられてしまったこと。基本は引いてブロックを形成し、相手の縦パスを狙うっていうものだった。

こういうやり方は前線から積極的にボールにアプローチしていった06年の日本代表とは違った形だけに違和感が残ったのが事実。その時点で可能性として考えられるのは、海外組招集による影響だったわけだけど、2人も守備に関しては献身的にこなしていた。

だから、もしかしたらこの時点で前線から最終ラインまでのピッチ全体でつくべき選手をはっきりするやり方をやめたんじゃないかって気がする。だからこそ前での守備に戸惑いが生じ、結果として下がって受ける形になったんじゃないかと。それでも後ろはしっかりと人についてたから、そういう場所に入ってくる縦パスは狙える。

本当のところは分からないけど、こう考えるとしっくり来る気がする。実際に試合の中で守備の内容が改善して行ったのも事実だった。これはそれまで守備の役割に困っていた選手が、自分のやるべきことを見つけた結果だったのかもしれない。

同時に攻撃面では縦のポジションチェンジ(後ろからの飛び出し)が明らかに減ってしまった。06年最終戦のサウジ戦では、最終ラインから次々と選手が飛び出していくダイナミックな攻撃でチャンスを多く作ったのにも関わらず。この点においても守備で完全なマンマークを崩したことの裏返しだったのかもしれない。

このペルー戦の次に行われたのがキリン杯のモンテネグロ戦。この試合では上にも書いたとおり、相手の3トップに対して4バックで臨んだ。でも実際には駒野が攻撃的に行き、阿部が引く左右のバランスを意図的に崩した形。阿部-中澤-坪井の変則3バックと行ってもいい。だから、相手が2トップに変えたところではこの変則3バックがそのまま配置を入れ替えて(阿部をリベロに置いて)3バックになっただけのイメージだった。数的同数に対してSBが助けに来るってことではコロンビア戦と同じ。ただし、ペルー戦ではそこをはっきりと3バックにしたわけだけど。

さて、問題はなんでオシムがこういう守備の変更を行ったってこと。短期的に見れば、その後すぐのアジア杯につなげる意図が強かったのは確かだったはず。アジア杯での2バック+1つ前のリベロでの守備は期間中にしつこく触れた点。そして、この2+1の守備は攻撃のためっていうのはオシムも述べていた通りだった。以下、前にも引用したコメント。

今日の試合を含めて、この大会はそうであったわけだが、相手が2トップで来ても2ストッパーで対応し、その隣にサイドがいるが、事実上真ん中の2人のストッパーと、ボランチ2人のうち1人の3人で中央を守る。そういうリスクのある守備をしつつ、中盤のプレーメーカーを自由にさせる。(韓国戦後オシム会見より)

でも、これではどうしてゾーンに変えたかってことは直接的には明らかにされてない。その詳しい点については、以下の文章を参考に。

(ゾーンの)4バックの導入は守備のためというよりも、攻撃のため、中村憲剛を起用するためといってしまってもいいだろう。4で(鈴木啓太をカウントすれば5人で)守れるなら、数合わせ要員として阿部勇樹が担当していたポジションはいらなくなる。つまり、鈴木と組むボランチに、展開力のある中村憲剛を起用する余地が生まれる。(『「日本」を超える日本サッカーへ』より)。

つまり、こういうこと。マンベースの守備をするなら相手の形を見て3バックと4バックを転換しなければならない。その中ではモンテネグロ戦のように試合内での変更もあり得る。そして、この転換のためには中盤でも最終ラインでもプレーできる阿部を“数合わせ”で起用せざるを得ない。ゾーンにすることによって、それを回避した。

そう考えるとモンテネグロ戦はもう1つのテストだったかもしれない。もしもコロンビア戦でゾーンが崩壊した場合には、数合わせの阿部をSBに入れることで鈴木&憲剛の組み合わせを作り出した可能性は十分にあることだと思う。

ただ、ここで疑問が1つ残る。オシムの守備はどこに向かおうとしてたのか?ってこと。残念というかなんというか、アジア杯後(3位決定戦の韓国も含めて)に戦ったチームは全て1トップまたは3トップ。要するにマンだとしてもゾーンだとしても4バックで対応する形だった。しかも、カメルーン戦では阿部&鈴木が復活してる。

よくも悪くも、2+1はアジア杯用の形だったのは間違いない。関連してゾーンもアジア杯用の形だったとしても何の不思議もない。つまり、後で書くように“攻撃の型”を作るための守備の形だったって言っていい。だから、あれだけリスクを負う守備だったのにも関わらずカウンター対策も十分とは言えなかった。要するに守備のための守備のやり方は手付かずのまま残ったっていうこと。この点については岡田監督に引き継がれるべき課題だって言える。同時に岡田監督ならうまく守備の形を作ってくれるように感じるのも確か。

さて、この2+1の守備によって攻撃の厚みを状況で行われた攻撃の型作り。まず、この型作りのためにスタメンの固定が行われた。アジア杯では高温多湿の気候の問題、Jリーグとの関連における日程の問題があったのにも関わらず、ほとんどメンバーを変更せずに6試合を戦い抜いた。選手交代も同じポジション同士の交代が目立ったのは注目すべき点だったと思う。同じメンバー、同じ形で徹底的にベースを作る作業をしてた。

その中で生まれたのが圧倒的なポゼッションサッカー。出し手となれる選手(W中村+遠藤)を並べ、ランニングを生かしたショートパスと一気に局面を変えるサイドチェンジを繰り返しながらボールを保持し続けた。

アジア杯ではこのポゼッションの型をしっかりと作ったのが大きかった。そして何よりもそういうポゼッションの維持が困難だと思われた(個人的に)、スイスを相手にしたときもしっかりと機能したのが大きい。今や日本の型となったと言っていいわけで、岡田監督にもその継承をお願いしたい。そういう意味ではオシムサッカーの影響を受ける大木さんがコーチに就任したのは大きいかもしれない。

そして、このポゼッションサッカーの中で重要な役割を担ったのが両SBだったのはアジア杯後にも書いたとおり。守備は2+1に任せながら攻撃においてなくてはならない存在となった。アジア杯後にポイントとして挙げたのが以下の5点(攻撃に関しては1~4)。

①味方を前線に押し出す
ビルドアップのときに最終ラインの選手がボールを持ち上がる(ある程度高めの位置まで持ち込むことも重要)ことで、中盤より前の選手を前に押し出すことができた。具体的には憲剛、遠藤、俊輔の起点としての負担が減って、前で受け手となれる状況が生まれる。同時に前線に人数が入ったことでターゲットが多くなるから、前線にボールを入れる選択肢が多くなった。さらにそうやって前線に入ったときに近い関係性も築きやすい。

②1つ前のポジションを中に押し込む
サイドのスペースをSBが担当することによって、その前の遠藤とか俊輔がサイドのポジションを捨てて中に入っていけるようになる。もちろんサイドで数的優位を作ろうっていう試みもあるけど、ずっとサイドに釘付けにされないのは大きい。こうやって中の厚みを増したことでゴール前に人数を揃えやすくなった。

③中にギャップを作る
外に一度起点を作ることで相手の目先が変えられる。それにSBがボール保持者となってドリブルで出て行たり、敵陣の深いところで受けたりすれば、当然相手はそこに対応しなければならない。結果として相手の中のブロックにギャップを生み出すことができる。

④大きな展開
③と関連する部分もあるけど。SBがタッチライン一杯をに張り出すことで最大限のサイドチェンジが可能になる。そういう大きな展開の繰り返しで相手のブロックを横に間延びさせる。同時に守備の勝負どころを定めさせず、ズルズルと押し込んでいく。

⑤対応する相手を押し込む
基本的には相手のSMF。日本のSBがかなり高い位置を取ることで対応する相手の選手は自陣深くまで押し込まれることになる。結果として前の人数が少なくなって、守⇒攻の移行のスムーズさがなくなる。カウンターの選択肢としてもトップに当てるものしかないから、そこはしっかりと鈴木を中心に押さえられる。


アジア杯時のようにSBが攻撃ばかりを考えていられない相手との対戦では当然のように守備の負担も大きくなる。それでも攻撃の役割も担わなければチームとしての形が崩れてしまう。そう考えると、両SBには豊富な運動量はもちろんのこと、戦術理解度の高さも要求される。

にも関わらず、07年の代表は基本的には加地&駒野の固定だった。何らかの事情でどちらかが出場できない場合には阿部や今野っていう本職のSBではない選手がその場所に入った。重要なポジションなのに選手層が薄いっていうジレンマを抱えていたように思う。そう考えると12月の合宿における初招集メンバーのうち2人(安田と徳永)がSBの選手だったのはよかった点だと思う。

とりあえず、アジア杯においては組み立ての型が作られたと言っていい。ただし、圧倒的なポゼッションの割りにフィニッシュにまでつながらない問題も指摘された。この点についてはアジア杯の総括でも書いたとおり、アジア杯は組み立ての型を作ることで徹底されてたんだと思う。結果としてフィニッシュの型作りまでには手が回らなかった。組み立てでの連動性に加えて、最後の部分でのギクシャク感は明らかだったように思う。

これに対して、次のカメルーン戦で一気にてこ入れが行われれた。メンバーの入れ替えとともに、今までにも書いてきたように、横のアプローチから縦のアプローチへの一気に転換が見られた。この試合では組み立てどうこうではなく、相手の最後のブロックに対する仕掛けに重点を置いてたと思う。だから、FWも(タイプの違いもあるものの)組み立てに参加するよりはゴールに向かう動きを繰り返した。

これは推測でしかないけど、おそらくトレーニングでもフィニッシュに対するイメージ作りが進んだんじゃないかと思う。結果として07年の最後の2試合はともに4得点。明らか過ぎるほどの変化が生まれ、いい形での締めくくりが行われた。

以上が07年の日本代表の総括。結果としてこれがオシムジャパンの総括になってしまったのは非常に残念。新生岡田ジャパンについては現状でどうこう言ってもしかたないので、とりあえず試合を見てからコメントしたいと考えています。
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